毒親に育てられました。今も同居していて、生きづらいです。母親から心理的虐待と少し教育虐待も受けていました。

中1のときに父親が突然亡くなりました。
そのときはなんとか私と姉とで母親を支えていかないとだめだと思っていました。

母親の人格がおかしくなってきたのは父親の単身赴任が決まった頃(私が9歳くらいのとき)だったと思います。

小学校の単元テストで100点を取れなかったときは顔や頭を平手打ち、体を殴られたこともありました。姉が賢かったこともあり、私だけ叩かれる日々でした。

父親が死んでからは一層拍車がかかり、部活と勉強のどちらも上位でなければ怒られました。

部活では優勝はできなかったものの何度も入賞しましたが一度も褒めてもらった記憶はなく「なんで1位じゃないの」と責め立てられたことしか覚えていないです。

中2くらいからリストカットをした記憶があります。腕だと周りにバレてしまうので、足を傷つけていました。

高校への進路は自分では選べず、母親が選んだ学校に入学。地元では有名な進学校にギリギリ合格。夜中の2時か3時まで勉強したこともあります。


母子家庭だったこともあり、家の都合で部活を休むことも月に数回あり、これが原因で部活の友達を全員失いました。高校のときに給付型奨学金をもらっていましたが、全部姉の大学費に消えていることを後に知りました。

大学進学も自分で学校を選べず、短期大学に進みました。バイト先も母親が許可したところでしか働けず、月に2万〜3万の収入で、ほとんどが大学通学費に消えました。

就職の際も、履歴書は全て見られました。公務員に執着し、5つほど受けましたが、全て落ちました。コロナ禍で就職が一番難しいときで、自分は仕方ないと思ってとりあえず内定をもらえた金融機関に就職しましたが、母親は激怒。

家での肩身が狭く、また就職した金融機関でパワハラも受けて生きることをやめようとしていました。適応障害と診断を受けて自宅療養を2ヶ月しましたが、その間は家の家事を1人でやりながら転職活動をし、療養後すぐに転職。今の非正規の仕事につきました。

今は通信制大学で大卒を目指しています。非正規雇用と通信制大学に母親は不満な様子です。

書ききれないほどの罵詈雑言を浴びて生きてきました。

「お前は本当に期待外れの人間だ」「馬鹿のくせに」「ブス」「デブ」「お前の考えは全部間違い」「私の言うことを聞けば人生うまくいく」
母親の思い通りにならないと「お前が悪い」と言われました。

人と話すことも怖くなり、人を信じることも自分を信じることもやめて、感情も表向きだけ、本当の自分が今もわからないままです。自分の意志を持つことも許されず、人生が嫌になります。

大学も趣味も交友関係も人生も諦めてきて、やっと今から取り戻そうとしているのにそれも許されないなんて、私はこれ以上何を失えば母親は気が済むのでしょう。